Vol.47 今日は防災の日 ~関東大震災を振り返ろう~
こんにちは。
フリーアナウンサー、防災士の岡本祥子です。
「防災365 1日1アクション」
47日目の今日は防災の日。関東大震災を振り返りましょう。
今日、9月1日は「防災の日」です。
1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分に関東大震災が起き、甚大な被害が発生しました。
この日を忘れることなく、災害について認識を深め、備えを強化する日とするため、
「防災の日」が制定されました。
防災の日に合わせて引き渡し訓練が行われる保育園や小学校も多いのではないでしょうか?
近年の大災害といえば、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などがすぐに思い出されますが、
今日は「防災の日」制定のきっかけとなった関東大震災について振り返ってみたいと思います。
地震の概要
関東の下に沈み込むフィリピン海プレートの上面で起きた、関東大震災。
地震の規模を示すマグニチュードは7.9。
住宅倒壊による圧死と火災による焼死により、10万5千人の死者が出ました。
このような関東地震と呼ばれる巨大地震の発生間隔は200〜400年と推定されています。
お昼時に起きた大地震
関東大震災の発生時刻は11:58。ちょうどお昼どきでした。
このため、かまどや七輪から同時多発的に火災が発生。
水道が断水したため、消火に使えず、おりからの強風によって火災はたちまち延焼しました。
当時、発生したと考えられる火災旋風については現在も研究が続けられています。
避難者が持ち出した家財が延焼を促す要因になったとも言われています。
また、横浜市においても市街地全域が焼失し、石油タンクの火災は12日間も続きました。
圧死と火災以外の被害
関東大震災の被害と言えば、住宅の倒壊と火災のイメージが強いですが、
それ以外の被害も発生していました。
土砂災害
関東南部、特に神奈川県西部及び千葉県の房総地域においては、
地震やその直後の大雨により、崩壊や地すべり、土石流などによる土砂災害が多数発生しました。
特に今の小田原市根府川では土石流により埋没が64戸、死者406人という被害が発生しています。
液状化現象も
東日本大震災では関東でも液状化現象が発生しました。
その現象は関東大震災でも起きていました。
東京湾岸部の干拓地や埋め立て地、相模川、荒川、古利根川などの河川沿いの低地においては地盤の液状化が起こり、
地盤の陥没や地割れ、建物の沈下、傾斜、地下水や砂の噴出などの現象が起りました。
津波被害も
相模湾周辺と房総半島の南端では最大高さ12m(熱海)、9m(館山)の津波が発生。
ただし、各地で元禄地震や安政元(1854)年の東海地震の津波による災害経験が生かされ、
地震直後の適切な避難行動により人的被害が最小限に食い止められた地域もありました。
やはり、過去の教訓からの災害対策が当時も非常に重要だったのですね。
ラジオ放送・NHKの開始のきっかけだった
関東大震災が起きた時、行政も住民も皆、何日間も災害の全体像が把握できませんでした。
郵便も電話も途絶え、新聞も多くが発行不能になってしまったからです。
新聞各社は急遽ガリ版刷りの号外をつくり、電柱に貼ったりしましたが、被災者は長期間の情報空白の中におかれました。
当時すでにアメリカなどではラジオの放送が始まっており、
このようなときに日本にもラジオがあったら、情報混乱や社会混乱の防止に役立ったのではないかという人々の願いから
その2年後の1925年にJOAK東京、JOBK大阪、JOCK名古屋と相次いで放送局が誕生したという背景があります。
関東大震災がラジオ放送・NHKの始まりだったんですね。
さて、ここまで1923年に発生した関東大震災を振り返りました。
関東大震災は近代では未曾有の大災害でしたが、数多くの教訓を得ることができ、後の災害対策の礎になったとされています。
その災害対策は大災害が発生するたびにアップデートされ、現在の災害対策につながっています。
約100年前の住宅環境や人口密度、社会インフラ等と今を単純に比べることはできませんが、多くの方が犠牲になった大震災。
振り返ることで改めて地形や避難方法などを意識し、よりよい防災へつなげていきましょう。
47日目の今日は防災の日 ~関東大震災を振り返ろう~
今日はここまで。
明日も一緒に1アクションを続けましょう!